修証義私見-総序-①
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
人身得ること難し、仏法値ふこと希なり、今我等宿善の助くるに依りて、 已に受け難き人身を受けたるのみに非らず遇ひ難き仏法に値ひ奉れり、 生死の中の善生 、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒らにして露命を無常の風に任すること勿れ。
人間に生まれることは難しいし、仏教に出会うことは稀である、とある。たしかに人間として生まれまいものもあるし、人間に生まれても仏教のぶの字も知らない人は大勢いるだろう。だから人間に生まれてなおかつ仏教に出会う確率が低いのはわかる。しかしこれは仏教がいいものだということを確信したあとじゃないと言えないセリフだと思う。他人に言われるものではないのではないか。
次の文章も同じで、自分が人間として生を受けて、仏法に出会えたことをひたすらに感謝している様子が綴られる。あれ?じゃあ人間以外に生まれたら?それはよくないことなのだろうか。
まあここでは、道元禅師が仏法に救われた喜びを人間に生まれて良かったと表現しているとみていいでだろう。