修証義私見懺悔滅罪①
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するには、 其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
【直訳】
善と悪の行為による報いは三通りあり、一つは順現報受、二つめが順次報受、三つめが順後次受であり、これを三時という。仏道を習得するには、はじめ、この三時業というものの道理をしっかりと理解しなければならない。そうしなければ、間違いを犯して誤った考え方をもってしまう。そしてなにより、誤った考え方をもつだけでなく、悪い道に落ちて長く苦しむことになるだろう。
【解説】
三時業というのは、自分の行為に対しての結果が現れてくる時期を三つに分けたもの。順現報受がすぐに結果が出るもの。順次報受は少しあとに出てくるもの。順後次受はずっとあとに報いがあるもの。
いい行いをしたら、いい報いがあるとかそんなんじゃなくて、ここで言いたいのは行為というのは、未来に影響を及ぼす潜在的な力があるということ。だから仏教では行為のことを業と呼ぶ。因果ともいうが、今の行為が未来に影響を及ぼすのだから、そういうつもりで生きなさいということ。
そして未来によりよく生きられる現在の行為を正しい行為という。
※修証義の解説は毎週日曜に更新します。