修証義私見④-総序-
今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡因果の道理歴然として私なし、造悪のものは堕ち修善の者は陞る、毫釐も忒わざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、
【直訳】
物事には原因と結果があることや、行いには報いがあることをわかっておらず、過去現在未来と続いていること知らなくて、善悪がないと思っている間違った考え方をもっている人たちとはつるむべきではない。
【解説】
今ここ!しかないと思っていてるのは邪見です。でも今ここです。
大凡因果の道理歴然として私なし、造悪のものは堕ち修善の者は陞る、毫釐も忒わざるなり、
【直訳】
どこまでいっても因果の道理があきらかなのだから、私というものは認められない。悪いことをすると悪い人間になり、いいことをするといい人間となる。この事実は毛一本ほども違わない。
【解説】
この前読んだ本に書いてあったこと
「人に嫌悪感を抱くことは呪いである。それは、抱いた相手には効果がなく、嫌悪感を抱く人自身を毒するだけだ。憎しみや恨みは毒だと思って手放しなさい。」
「誰かを許すと、相手がそのことを知らなくてもあなたは癒される。許すことは誰かのためではなく、私たち自身のためだ。」
人はもとから泥棒なんじゃなく、誰かの物を取った瞬間に泥棒になる。だからいいことをしている人はいい人間なのだ。
若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
【直訳】
もし因果というものがないのなら、お釈迦さまが修行して悟ることもなかったし、達磨大師が中国に来ることもなかった。
【解説】
お釈迦様が王様の身分を捨てて出家した理由のひとつは、なに不自由のないお城に生まれた一方で、街には奴隷のように虐げられている人間がいることに疑問を感じたから。お城に生まれたという縁がなければ、お釈迦様が奴隷の身分で生まれていたら、出家することはなかったかもしれない。世の中は原因があって結果があります。
※修証義の解説は毎週日曜8時に更新します。