仏法

名声を得ること

kofukuji

人は情欲にしたがって世間的な名声を求める。その名声をもって、世間で有名になる頃には、自分の生命がすでに終わる頃になる。

そんな世間的な名声を得ることばかりを求めて、仏道を学ぶことをしなかっならば、なんの功もないことで自分の生涯を無駄に費やしたことになる。

このことを例えて言うならば、いい香りの香をたくと、その香の香りは人が喜ぶことであるが、燃えきってしまうと、その燃えかすのみが残るようなものである。

世間的な名声はそのようなものでしかないが、その燃えかすが時にはその人の身を危うくする火にもなりかねないのである。

四十二章経

いいねの数ばかり気にしている場合じゃないですよ。

記事URLをコピーしました