古坂老師随聞記「宝鏡三昧吹唱」R5.11.20
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
が坐禅中にバサッと聞こえる。禅関係の本を読んでいるとたまに見かけるが、わたしは一度も聞いたことはない。修行不足だろうか…
たしかに誉められるほど坐禅をしているわけではない。しかし本当に線香の灰が落ちる音など聞こえるのだろうか。
ゾーンという言葉を聞いたことがあるだろうか。一流のスポーツ選手が体験する、周囲の時間の流れがゆっくりになるという経験だ。こういう体験談があるくらいだから、線香の灰が落ちる音が聞こえるということも人間には可能なのだろう。
ただ、だからなんなのだろう。回りの時間が極度にゆっくりになるほど集中できたり、灰が落ちる音が聞こえたり、たしかにすごい体験だと思うし、体験してみたい。でもそれはあくまで「すごい」という世間的な価値観、つまり、比較の世界の話であって、わたしが今ここを幸せに生きることとはなんら関係ない。
もし禅の世界において、そういう特殊な体験が賞賛されるのであれば、それは一流のスポーツ選手のほうが悟っているということになるではないか。
仏教とか禅はそういうものではない。線香の灰が落ちる音が聞こえるとか、ゾーンに入ることができるとか、そういう、すごい、すごくなりたいというのを一切手放したところに腹を据える。すごくなくたっていいし、勿論、すごくたっていい。どちらの人生を歩んでも、納得することができる。禅とは、そういうものだと思っている。