不殺生戒とはなにか
不殺生戒とは、生命を殺さないという仏教の代表的な戒である。この戒があるがゆえに、坊さんは肉を食べないとかいうイメージがあるように思う。では、生命を殺さないという戒は文字通り、すべての生命を殺さないという意味なのだろうか。
この戒を考える時に必ず議論になるのが、日本のお坊さんは肉を食べているがそれは破戒ではないか、ということや、植物にも生命があるが、野菜は食べていいのかといったところだと思う。
結論からいうと、日本の仏教はこの不殺生戒というものを「殺すな」ではなく、「活かせ」というように解釈していると感じる。当たり前だが、何も食べなければ死んでしまう。何も食べずにいればそれこそパーフェクトな不殺生戒が達成できるのだろうが、それが仏教が目指すものとは到底思えないし、それなら生まれてこなけれよかったとなるだろう。
”食べる”というのは、命を交換することだ。死んだものを食べる。食べるものは死んでいる。食べた後に生きながらえているものなどない。だから、食べるとは、命を交換すること。相手を殺して自分が生きる。そうであれば、頂いた命を最高に活かすことが大切なのではないだろうか。頂いた命を最高に活かすとは、食べた自分が最高に生きるということだ。
これは食べられる相手の身になれば自ずとこの結論に至る。もし仮に自分がなにものかに食べられて、その何者かがどうしようもない悪党だったらどう思うだろうか。いつも誰かを傷つけたり、悪口を言っていたり、どうしようもないぐうたらな者だったらどう思うだろうか。
逆に、その何者かが、最高に善人だったらどうだろうか。思いやりがあり、優しく、世界のために懸命には働いている。どうせ食べられるなら、そんなやつに食べられたくないだろうか。
”活かす”とは、こういうことなんじゃないかとわたしは思う。
副