副住職日記

笑いは人の不幸を前提?テレビがつまらなくなった理由とは。

kofukuji

他人の不幸は蜜の味という言葉があるが悲しいことに人間は他人の不幸と比べないと幸せを感じられないという側面がある。

今日はなんだか運が悪いけど、ウクライナでは戦争してるし、山火事で家が無くなったロサンゼルスの人たちよりはましか、のような。

笑うって行為すら、人の不幸を前提にしているようなところがある。以前年末に放送されていた笑ってはいけないシリーズでは頭をたたかれているのを見て笑う、ドッキリ番組などもそうだろう。

人生に不幸って付きものだから、それを笑いに変えていこうぜって人たちがお笑い芸人なんだろうと思う。
一般人だって笑われるのが嫌だってのはそりゃそうだが、一方で自分が笑うときは誰かの不幸なわけだから自分の不幸で誰かを笑わしてあげるくらい気持ちでいるのもいいかもしれない。

昨今のテレビがおもしろくなくなった原因もここにあると思っている。コンプライアンスというのか、倫理的じゃないものを無くしていくというか、まあ誰かを傷つけるような恐れのあるものは放送できないと。

しかし不幸を楽しむという側面がある以上、それを禁止すればつまらなくなるのは避けられまい。まあいまのコンプライアンス的にはお知り叩かれるくらいがセーフということだろう。

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