副住職日記

人間の値打ち

kofukuji

以下は産経新聞の朝晴れエッセーからです。

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私が中学生だった頃のある日のことだ。母が父に尋ねた。
「父さん、千円札あります?」
「ぼく(私のこと)、背広の内ポケットから俺の財布を持ってきてくれ」
母は、父の財布の中から私に本代として千円を渡した後、笑い声をあげた。
「ねえ、ぼく、みてごらんよ。この一万円札にカビが生えている。このお札、どのぐらい父さんの財布に入ってたんだろうねえ」
父は苦笑いしながら答えた。
「『いざ、鎌倉』というときに使うんだ」

お酒をまったく飲めなかった父は、夕方の5時半頃にはわが家に帰ってきたので、ほとんどお金を使わなかった。しかし、突然、誰かに誘われたときには、普段つきあわないおわびの気持ちもあって、義理堅い父は、大盤振る舞いしたかったのだろう。

父は、家族にやさしく、特に母には優しかった。死ぬ最後の言葉は、子供たち3人を前にして、「母さんのことくれぐれも頼む」だった。自分が入院するときには、通帳の名簿をすべて母に書き換えていた。そこに母に対する優しさがにじみ出ているような気がする。

父は給料袋をそのまま母に渡していた。私が結婚するときには、「奥さんに給料袋をそのまま渡して、その中からお小遣いをもらいなさい」と強く言われた。私は父の言葉を退職するまでずっと守った。若いころは、勤勉だけでなんの野心もない父を少し軽蔑していたが、きっと父のように家族を大切にした人々が、この世界をずっと支えてきたのだろう。
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おそらくこのお父さんには端から見た”偉さ”というのは全くなかったのではないでしょうか。しかし先日も書きましたが(「偉い人が全然偉そうに見えなかった」)、そこに真実があるように思えてなりません。

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