副住職日記

偉い人が全然偉そうに見えなかった

kofukuji

先日、知り合いのお寺で大きな法要がありました。そこにはたくさんこお坊さんがおりましたが、その中には曹洞宗のかなり偉いお坊さんがおりました。しかしこんなことを言って大変申し訳無いのですが、わたしには全く偉そうには見えなかった。

なんだか威厳もないし、法要前にはあたふたしている。なんかいいおじいちゃんという感じ。

先日テレビで、小山の中華料理が特集されていました。そこのシェフは有名な料理人の一番弟子で、有名なホテルで料理長なるものも務めた経歴もある。

しかし、写っている当のシェフは、本当にどこにでもいそうなおじいちゃんだし、なんなら、若い弟子に声かけても誰も返事しないありさま。

一見すると、ただ舐められているだけにみえるのだが、わたしはそこになんだかすごさというか真実を感じた。

これまで仏教を勉強してきて、ひとつ言えるのは、人間界(世間)の価値観とは全く違うということだ。ここでいう世間の価値観とは、人間は偉ければ偉いほうが良くて、そして、えばることが最高に気持ちがいいという価値観なのだが、仏教では、そんなものは全くもってどうでもいいし、なんなら、人を不幸にする元凶でもある。

でもやっぱり偉くなったら偉くなった分だけ、偉そうにしたいのが人情なんだけど、そんな中、この小山のシェフにしろ、法要に出られていた老師にしろ、そんな偉そうなものはひとつと持ち合わせていない。

それがわたしには、非常に感銘を受けたことだし、是非見習いたいものだと思う。わたしがそんなに偉くなることはないだろうが。

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