副住職日記

不幸なのは幸せのせい

kofukuji

正確にいうと、”幸せ”という概念のせい。お釈迦様は言う。解脱してどうにかなるとかならないとか考えているのが間違いだと。

焚き火の火が消えたら、その火が消えたというだけのことでその火がどこかに行ってしまったわけではない。

問題は悩みの大元である、煩悩の火を消すこと。煩悩の火が消えれば悩みもなくなる。悩みがなくなって幸せになるのではなく、悩みが無くなった状態がすべてだとのこと。

目標を設定して、それを叶えれば幸せという方程式に慣れきってしまった現代人には理解しがたいのかもしれない。

そもそも、仏教が目指す境地にはゴールがない。矛盾しているようだが、特別なゴールがあるのではなく、静かで満ち足りた生活があるだけ。そう言うと、それがゴールになってしまうのだが…これは言葉の限界なのでしょうがない。

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