正法眼蔵を読む
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
この前、学生が浮かない顔をしているからどうしたか尋ねたら「疲れました」とひとこと。その学生は優秀で頑張り屋なので、さもありなんと思ったが、だいぶ思い詰めていたので、余計なお世話とは思ったが、釈尊の中道の話をした。
中道を説明するときによく聞くのが、琵琶(ギターみたいな楽器)を弾くのが得意な修行僧が激しく修行をしているのをみて、琵琶の弦をきつすぎず、ゆるすぎず、調度よく張ることで、いい音色が出るのと同じで、修行も同じようにしないといけないというアドバイスを釈尊がする説話だ。
つまり、このわたしの人生の音色が美しく響くように生き方を調整しなさいということだ。この「わたしの」というのがポイントだ。10人いたら10人の調度いい張り具合があるということ。以前は、この中道の話を聞いたときに、そのいい張り具合のポイントを教えてくれよ!と思ったものだが、そんなのは人それぞれで他人が教えられるものではない。
ただ言えるのは、厳しすぎてもダメだし、だらけてもダメだということ。そしてそれは走りながら決めるしかないと思う。トライアンドエラーを繰り返しながら、自分の丁度いいところを見つけていく。また、見つかったらといってそこで終わりではない。日々人生は変化していく。だから常に探し続けるという姿勢が大事なのだと思う。
修証一等
副