自律神経をバランスさせる坐禅
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
そして最近、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」という本を読んでいて、坐禅をする理由に思い当たりました。そこには、誰かになにか物を与えるためには、その与える人が十分に満たされていないといけないと書いてありました。喉が渇いているときに水を飲みたくなるように、逆に喉が渇いていなければなにも飲む必要がないように。ウルグアイのホセムヒカ元大統領は言います。「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と。つまり、どれだけ身のまわりに物があふれていて豊かでも、その人が実存的に渇いているのであれば、いつまでたっても満たされることはなく、満たされていないから他人に何かを与える余裕はないのです。一方で、その人の内面が満たされているのであれば、どれだけ外的に貧乏でも、いつでも誰かに何かを与えられるということなのです。
続く