金融資本主義社会では教育ができない
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
石橋を叩いて渡るという言葉がある。慎重に物事を行うことを表したものだ。
しかし、最近の日本人は慎重さの度を越している気がする。叩くだけではあきたらず、業者がやるような非破壊検査までしているのではないか。
私事ではあるが、去年首を痛めて以来、運動のためにジムに通い始めた。そこで驚いたのが消毒の徹底である。
筋トレをする前に掃除のおじさん顔負けに器具を消毒でごしごし磨いている人がいる。また、プールではマスクをしながら泳いでいる人もいる。
もちろん、わたしだって病気にはなりたくない。しかし身体の病気になりたくないがために、心の病気になってしまっては本末転倒だ。ヒステリーは決して健康とはいいがたい。
なぜこんなことになってしまったのだろう。”こころ”の健康は目に見えない。現代人は目に見えるものしか信じないからか。
大切なのは病気にならないことではなく、幸せであることだ。病気にならないというのはファクターのひとつだ。幸せになるために、病気にならないという選択肢があるのであって、病気にならなかったら幸せになるわけではない。
順番を間違えてしまっている。信号を守るのは安全に渡るためだ。安全が第一条件だ。信号を守ることが第一条件ではない。
なにが大事なのか。それを今一度考える必要があろう。
副
PS 境内にトンボがいました