「雑草=悪」という考え方は海外由来のもの
kofukuji
日本には、古来より草も木も土も生きとし生けるすべてのものが成仏するという意味の「草木国土悉皆成仏」という考え方があり、雑草という言葉も人の役に立たない植物といった概念もありませんでした。
しかし、欧米では、雑草は常に悪者です。人は生まれながらに原罪を背負っているとするキリスト教の教理や物事を善悪の二者択一的に分けようとする欧米の思考様式が雑草の解釈にも関係しているのかも知れません。
このように日本人と欧米人の雑草観は大きく異なりますが、姿形から受ける視覚的な印象は洋の東西を問わずあまり違いはなさそうです。
ここ最近、境内で除草剤を撒くのをやめている。除草剤が健康や環境にいいとは到底思えないからだ。また、それと同時に、生えてきた雑草もそのままにしている。いくつか土壌について学ぶ中で、土の健康のためには草で覆われていることが重要とあったからだ。
しかし、現代人は「雑草」という言葉の通り、庭に草が生えていることを嫌う。高福寺の境内をみて、草むしりをさぼっていると思っている方もいるかもしれない。
果たして「雑草」という概念は普遍的なものなのだろうか?それとも近年作り出されたものなのだろうか。少しインターネットを調べてみたところ、興味深い記事があった。江戸末期までは雑草という概念はなかったのではないかというものだ。
もしこの記事が本当であれば、雑草を雑草たらしめているのは現代人特有の価値観だ。永平寺でも修行僧が一生懸命草むしりをしている。そう聞くと雑草は古来からある価値観と思うかもしれないが、もしかしたら、永平寺の草むしりも所詮、近代の価値観に左右されているだけかもしれない。
なにはともあれ、当面、境内を砂漠化する予定はない。
副