副住職日記

金融資本主義社会では教育ができない

kofukuji

足短大(足利短期大学)が募集停止を発表した。少子化の時代だ。わたしは坊さんながら仏教を通して教育に携わらせていただいている。そこで痛切に感じたのが、教育が不可能になりつつあるということだ。

教育施設とは、学生が気持ちがよいと感じることを与えるのではなく、将来に役に立つことを教える場だ。だから場合によってはしつけがいい例であるが学生が不快に感じることもあるだろう。

しかし、昨今は学生が不快に感じることは禁忌になりつつある。なぜなら学生は学校を選び放題であり、学校は学生に迎合せざるを得ない状況だからだ。

さて、社会は金融資本主義である。つまるところお金がないと生活が成り立たない。お金がなければ水も電気もガスも食材もなにも手に入らない。なんという世界だろう。必然、なにがなんでもお金を手に入れなくてはならないのだが、その肝心のお金は競争社会を勝ち抜いてこそ十分に得られる。

学校経営でいったら、いかに学生に支持されるかだ。そして学生が支持する学校とは、教育の質が高い学校だろうか?しっかりと自分の成長のために指導してくれる教員がいる場だろうか?

どうもそうではないように思う。厳しくはないか。制服は自由か。校則はゆるいか。インスタ映えしているか…

叱るべきところで叱れない。厳しくしたら選んでもらえない。生徒が減れば経営が成り立たない。給料が払えない。くっていけない。

もしこれが金融資本主義ではなく、お金以外で食べていける手段があれば、こんなにも迎合せずに、自分の信ずる教育をしていくことができるのではなかろうか。

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