副住職日記

坊さんは庭を掃くべきか

kofukuji

禅の修行道場というと綺麗に掃き清められているイメージがあり、また坊さんというと、手に箒を持ち毎朝落ち葉を掃いているイメージがあるのではないだろうか。

たしかに永平寺では一日のうち少なくない時間を掃除に費やしているし、実際に作務といって掃除は大切な修行だ。

それでは地方のお寺の庭は常に掃き清めやれているべきだろうか。もちろん綺麗に超したことはないのだが、果たして落ち葉はゴミなのだろうか。

落ち葉は立派な木の栄養であり、落ち葉を掃いて栄養がいかなければ土は枯れるばかりではないだろうか。

昔であれば、ここまで街にコンクリートが敷き詰められていなかったからどこかしこで落ち葉が土に還り、木の栄養となっていたと思うのだが、昨今のコンクリートジャングルではどこでも落ち葉はゴミ扱いで燃やされる運命になっている。

そうであるからせめて境内だけでも落ち葉を掃かずに土の肥やしにするべきではないだろうか。ここ数十年でどれだけの落ち葉が栄養とならずに煙となっていったのだろう。そして栄養足らずの木の運命はどうなるのだろうか。

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