お葬式の一般焼香中にお経を読まない理由
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
仏教の教えの一つに「四水の見(しすいのけん)」というものがある。
同じ「水」であっても、見る存在によってまったく異なって映るという譬えである。
* 魚にとっては住みかである。
* 神々にとっては甘露である。
* 人間にとっては飲み水である。
* 餓鬼にとっては膿や血である。
水そのものは不変であるが、見る側の立場や心の状態によって世界の姿は変わる。
これが「四水の見」である。
この写真を見てどう感じるだろうか。
現代の日常においても、同じことが言える。
たとえば、落ち葉である。
ある人にとってはゴミ
ある人にとっては堆肥や資源
ある人にとっては秋の風情
ある人にとっては道路に積もる邪魔者
落ち葉そのものは変化しないが、受けとめ方によって意味は全く異なるのである。
仏教ではこれを「唯識(ゆいしき)=すべては心の現れ」と説く。
外界をどう見るかは、心の在り方に依存するというのである。
落ち葉をゴミと見るか、恵みと見るか。
日常の些細なものの見方に、我々の心の在り方が映し出されている。
同じ現実を見ても、受けとめ方一つで世界は変わる。
これこそが、仏教の知恵である。
わたしはこの落ち葉をこっそり撒いている…
副