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過去の行為は永遠

kofukuji

過去があるかどうか。これは微妙な問題だ。実物を提示できない以上、証明することはできない。

しかし、今ここの実物がある以上、今ここでたしかになされた行為やたしかに今生きている人々が存在したことは確かだ。

そういう意味で、過去は存在し、そして永遠である。過去は過ぎ去ったものであり、何人たりとも手出しができない。

良いことも悪いことも一度成した行為は永遠となる、善人も悪人も、一度この世に生を受けたなら、その生きた証は永遠となる。

身近な人が亡くなることは非常に辛い。もう一度会いたいと誰しも思う。しかしそれは叶わない。実物に会うことは叶わないが、その人がたしかに存在したという事実は無くなりはしない。

この無常の世界において、唯一永遠が存在する過去を拠り所とし、その永遠の世界でたしかに存在している事実を先祖として、心の糧にしているのが日本人なのかもしれない。

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