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子どもの引きこもり

kofukuji

何年か前に、子どもが引きこもり(不登校)で悩んでいるお母さんの相談に乗ったことがある。その時にこれは問題だなと感じたのが、そのお母さん自体が鬱になってしまっていたということだ。これがよくミイラ取りがミイラになるというものだろうか?

子を思う親だからそれも仕方なしかもしれないが、それは火事の中に助けに行こうとして、自分も燃えてしまったあげく、助けたい人も助けられないというような状態と同じで、なんの解決にもなっていない。子どもとしては助けてほしいはずなのに、親も一緒に悩んでしまっているんじゃ、安心して悩むこともできないだろう。「引きこもるという情熱」の中で著者の芹沢さんは、親の自分の不安、都合を最優先しているあいだは、もっともつらい目にあっているのは子ども本人であるという当たり前の現実がみえてこないでしょう。」と言っている。

つまり、子どもが抱えている不安が心配なのではなく、自分の思うとおりにいかない子どもの態度が不安なのである。これはもう子どもからしたらたまったものではないだろう。だから当時のわたしはとりあえず、そのお母さんが不安がることから脱出させなくてはと思って、いくつかお話をしたのだが、その後はどうなったかは知らない。

自分の物足りようの思いを満たしたいだけなのに、それを子ども(他人)のためだ!と勘違いしている自分に気付くことが大切である。そうすれば、子どもが本当は何を求めているのかが見えてくる。かもしれない・・・

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