副住職日記

平凡でいい

kofukuji

なぜ有名人が存在するか知っているだろうか?その答えは簡単だ。無名人がいるからだ。あまたの平凡な人々がいることによって少数の有名人が誕生する。その少数になんとかなろうとして人はあくせくするわけだが、そもそも少数しかなれないものになろうと頑張ってどうするのだろう。

もう一度書くが、有名人が成り立つには大量の平凡な人々が必要だ。有名人が多数で平凡な人が少数なんてありえない。つまり、古今東西、人類が誕生してから有名人になってきたのはほんの数パーセントの人間なのだ。残りの大半は平凡な人々。だから平凡でいいではないか。大半の人々が平凡な人生を歩んでこの世を去っていく。もし、有名人が正解で平凡が不正解なのだとしたら、人類史上、正解な人生を歩んだのはほんの数パーセントだ。

そんなわけないだろう。そしてもうひとつ、これは仏教の縁起の話になるが、さきほども書いたように、あまたの平凡のおかげで有名人がいる。つまり、わたしたちが平凡であるおかげで有名人が有名人となっているということだ。だから一般人のおかげなのだ。自分なんて所詮・・・そう、ただの平凡なわたし、あなたがいるおかげで有名人がいるのだ。だから平凡だからといって卑下する必要はまったくない。

そして平凡でいられるという自由さも大事だと思う。

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