副住職日記

雲、水

kofukuji

修行僧のことを“雲水”と呼ぶ。雲も水も、一見たしかに存在するように見えるが、雲の中に入ってみればただの水蒸気の塊でしかないし、水だってある時はコップの中にあることもあるし、川みたいに流れてることもあるし、雲になっていることもある。

だから本当は、修行僧のことだけでなく人間みな雲水なのだ。福岡伸一さんも著書の中で「生命とは川の流れのようなもの」とおっしゃっていた。人間、雲水だからイライラすることもあれば、悲しい日もあるし、笑っていられる日もある。

だからなにかあっても気にしないくていいんだ、と言いたいところだが、人間そううまくはいかない。気にするなといっても気にしてしまうのが人間だもの。じゃあどうればいいのかというと、雲や水の流れをつかんでそれに乗っ取って生きてゆくこと。雲や水のような自分の性質をしっかりと見つめて、どうしたらよりよい方向に進んでいけるかしっかり考え行動していくことが、本物の雲水として大切なことだと思うんだなあ

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