古坂老師随聞記「宝鏡三昧吹唱」R5.11.20
kofukuji
足利 祥林山 高福寺
宗通趣極
宗、趣→教えの一番大事なところ(空とか無我)
宗通じ、趣極まるもとは、本当の所がわかったとしても、その本当の所を掴んだという概念(頭で考えた納得)も越える必要がある。
それは頭では越えられない。
ではどうするか?
実践が必要→坐禅
【わたしの質問】
なぜ作務ではなく坐禅なのか?
【老師の答え】
目的のある作務より純粋になにもしない坐禅のほうが真を捉えやすい。
肯心自許
お釈迦さまが言ったからでもなく、道元禅師が言ったからでもなく、自分自身で肯定できるもの、それが本当のところ(空、無我)。外から手にはいるものではない。
右とか左とか、YESとかNOとか、金持ちとか貧乏とか、そういう表面の下にある土台に腹を据える。
「行の中に、本当の自信が捉えられる」
一事に達せざれば、一智に達することなし、と随聞記にある。
いろいろなノウハウや知識を詰め込んでもだめ。他所見さずにひとつのことをきっちりやるところに仏の智慧、本当の在り方が実現する。