正法眼蔵 全機①
kofukuji
【原文】諸仏の大道、その究尽するところ、透脱なり、現成なり。その透脱というふは、あるひは生も生を透脱し、死も死を透脱するなり。このゆえに、出生死あり、入生死あり、ともに究尽の大道なり、捨生死あり、度生死あり、ともに究尽の大道なり。
ー 解説 ー
透脱、現成
仏道の行きつくところは、透脱であり現成であると言っている。
では、透脱とか現成とはなにか
“透ける”という字があるように、なんでもお見通しになるということ、ものの道理がわかるようになるということ。縁起にも通じる。もしくは単に脱落と捉えてもいいかもしれない。
透脱を仮に知識としての理解と位置付けるとしたら、現成は、体感的に今ここにあるということ。目の前の物事をしっかりと生きているということ。
生も生を透脱す
生きているという概念と、実際にいま生きているこの事実との差異は何か。生が生を超えたらなにが残る?そこにあるのは、生ともなんとも表現できない実物があるのみ。
死を透脱する?死がどんのものかどんな状態か、そんなものは死なねば分からない。しかし、そこには”死”という実物があるのであろう。
出生死あり、入生死あり
そういう実物の世界があることを踏まえておきながら、現実の喜怒哀楽があるこの生を展開していく。生きていく。悟ったらなにもなくなるわけじゃない。そこは血の通った人間。お釈迦さまだって、悲しむとかはあった。
続く
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